すまいについて/2014.10.10(Replan東北掲載予定)

3.11以降、巨大すぎて誰も制御できない社会システムに依存する現代社会の危うさが露呈している。便利なことこの上ないが、大事なことには目をつぶり、なんでも他人まかせでお金で済ませ、将来世代に難題を丸投げした上に成り立つ、現在の暮らしである。身の程を知り、身のまわりに潜む可能性をしっかり見つめ直すことで、多少なりとも、自分の目が行き届く範囲で自立する充実感や、生きるということ自体の喜びを見いだせるような暮らしへの転換が必要ではないだろうか。そのような暮らしを模索するうえで福島という土地は、原発被災地という象徴的意味合いも含め、自然環境においても、社会環境においても、大変恵まれた地域であることは間違いない。身近な環境に耳を澄まし、その恵みを効果的に活用し楽しむことを通じて、福島ならではの魅力的なライフスタイルを提案していきたい。震災後、ロウソクで明かりを採ることが続いた夕食時「毎日が誕生日みたいだね!」と息子が表現した。そんな発想の転換が求められている。

特産品を目指して/2014.06.11

伊達市梁川町の山舟生地区で長い間受け継がれてきた「山舟生和紙」は、昭和の高度成長とともにいったん途絶えたそうだが、平成になって再興し、近年では地元学校の卒業証書の素材として採用されており、「ふくしまの建築素材」という冊子にも登場する知る人ぞ知る和紙である。その再興と現段階で製作の中心である山舟生和紙伝承会代表の八巻さんと知り合うことができ、昨年あたりからその活用を模索している。昨年は今年のカレンダー作りで一応の成果を見た(限定70セット・ほぼ完売)が、今年は紙漉きワークショップの開催も視野に、スタンドライトの試作に取り組んでいる。和紙の魅力はその柔らかな風合いにあるが、手漉きの場合、その極みが紙の端部に現れる。なんともいえないその境界を恣意的なフレームで消すことなく、素材の強度を利用してシンプルに構成した。背骨のクリップは着脱式で、和紙の重ね合わせを変えることで自由な形態の操作が可能で、和紙自体を傷つけることはない。季節で和紙を組み替えるもよし、自作のオリジナル和紙をまとうもよし、なかなかの優れものである。(下写真左)
下写真右側の 「楮だまライト(仮称)」 とともに近日発売の予定である

日本のお家芸/2014.05.30

前回の甲状腺検査結果の対する見立ては、我ながらスクープ情報かと思い、福島民報に投稿したり、毎日新聞の論説委員に流したりもしたが、さっぱり何の反応もなかった。素人が専門家による科学的知見に異議を唱えても世間は相手にしてくれないようだ。しかし、福島県民として今後も注意深くその推移を見つめていきたいと思う。

ということで、今回は専門家の立場から新国立競技場の問題を取り上げたい。(そもそも、私は多くの建築家も提案する現競技場を改修して対応する方策に賛同したい。)昨日公表された基本設計案は「どんくさい」の一言。スピード感あふれるザハのデザインとは似て非なるものである。多方面からの要望やヤジに応えて、ここまでまとめあげた設計スタッフの優秀さと生真面目さは同業者として頭が下がるが、しかしである。ザハさんもさぞやお嘆きであろう。

住宅を設計する場面では、これでどうだと提案した設計案にクライアントからあれこれ注文がついて、困ったなと思いながらもあれこれ試行錯誤を続けていると、当初より数段優れたプランに出会うことがままある。一般建築もいろんな人がいろんな思いを出し合う中で「これは!」と思うものを拾いあげ、うまく空間に翻訳できたものがいい建築になる可能性が大であると思うし、そのポイントこそが建築家の個性であり、試される部分であると思っている。

今回の騒動の原因は、選ばれたデザインのデザイナーが、注文がついた後のデザインを担当していないことに尽きると思う。(当初からそういう条件のデザインコンクールだった訳であるが)コンクールで最優秀となったデザインだけが独り歩きし、精神を失った薄っぺらな(署名のない)デザインが、体面にこだわり、目先の利益を優先するおじさん連中に担ぎ上げられ、肥大化しているように見える。責任の所在を曖昧にし、税金を食い物にするこの構図は、既視感がある。いわゆる日本のお家芸なのだろうか。

 息子の運動会で虹色に輝く雲を見つけた。
科学的知見とは?/2014.05.21

520日付福島民報紙上に、福島県内市町村別の甲状腺検査結果が掲載された。福島県「県民健康調査」検討委員会座長は、「これまでの科学的知見から、現時点では放射線の影響は考えにくい」と、お決まりの見解を示したそうである。同じ紙面には市町村別の外部被ばく線量推定結果が掲載されており、これと検査結果を照らし合わせてみると、私の素人見立てでは、「福島県内で、外部被ばく線量が少ないと推定される会津地方の人は、他地域の県民と比較して、甲状腺がんを発症する割合は1ケタ少ない。」となる。(下表参照・紙面の数字をもとに田中が再構成)
悪性または悪性の疑いの例の割合の数字が一桁違えば、影響は当然、考えられるとするのが一般的であるように思う。

外部被ばく線量推定結果 甲状腺検査結果
調査人数
(人)
積算線量
1msv以上(人)
被ばく者割合
(%)
受診者数
(人)
悪性・悪性の疑い例(人) 悪性例の割合
(%)
浜通り 153,025 18,152 11.9 76,241 21 0.028
中通り 275,142 141,680 51.5 187,028 67 0.036
会津 43,398 279 0.6 32,208 1 0.003
災害に関係ない地域の調査結果と比較したいところであるが、「美味しんぼ」問題しかり、最近は福島県においても原発災害から目を背けたい気持ちが広がっているようである。私の中のその気持ちを否定しないが、枝野さんの「ただちに健康に影響はない」以来、国、県、その他専門家の見解に対して、どうしても斜に構えて受け取るクセがついた。
2040年 自治体の半数「消滅の恐れ」/2014.05.10

59日の朝刊には各紙一面にこの見出しが躍った。日本創成会議・人口減少問題検討分科会というところの有識者が推計したものらしい。福島県は特別対応で市町村ごとの数字は発表されていないが、私の暮らす伊達市も消滅の恐れ896自治体と同じ範疇であろう。紙面では少子化の抜本的対策の必要性を唱えているが、子ども手当や官製合コンなど、現在の政治家や役人の考えるその対策は的を得ていない。そんなことより、国の経済規模の2倍を超える借金を減らす道筋を示してくれたほうが、よほど安心して子供を産めるのではないか。
それはともかく、地方がその消滅の恐れを回避するためには、二つの相反する方向性があると思う。
一方は、その地方ならではのブランドを確立するという方向。現在の自由経済至上主義のもと、世界を相手に(または国や企業の欠かせない歯車として)、唯一無二の“もの”で勝負し続けていくこと。
もう一方は、その地方ならではの経済圏を確立するという方向。何をしてもお金(衣・食・住・それらを支えるエネルギーにかかる対価)が中央資本を経由する経済構造を変え、地域内でお金が循環する社会に変革すること(中央になるべくお金を渡さないこと)で雇用を生み出し、暮らしを豊かにすることを目指すものである。(そこでの豊かさは、携帯電話の性能向上やテーマパークで行列する豊かさとは別物であると思うが)
私の暮らす伊達市では後者を選択するしかない(選択する素地は十分にある)と考えているのであるが、伊達市のみなさん、いかがでしょうか。

下の記事は、5月8日付け福島民報のとてもせつなくなる紙面です。こういう不寛容な断面が現代社会にまま見受けられますが、子どもの目の前で全クラス分を廃棄はどうなんでしょう、校長先生。保護者に何を謝罪するのでしょう。これも規格と価格がすべての現代経済社会、お金さえ払えば神様であるかのように錯覚した現代社会の一面と思います。

ダテナコラムについて/2014.04.30
下のコラムを記してから3年の月日が経過しました。今読み返してもその通りであり、何とかしなくてはと思います。この間、何か行動を始めたいと思いつつ、日々の忙しさを言い訳に過ごしてきました。ここで、更新もままならずに過ごしてきたコラムを再開します。ゼロから始める意味を込めて、”0”の日更新とします。
我が家の庭にも、また春が巡ってきました。三協立山アルミさんから頂いた球根が、今年も元気よく成長しました。チューリップはどうしてこんな形をしているのでしょうか。背が高くて、頭が大きく重そうで、力学的にはとても不安定であり、厳しい世の中を生き抜いていくにはとても不利だと、私には思えますが・・・。
チューリップは大水飲みで、冬の間に水をきらすと根がダメになり、葉が出ても蕾がしなびて花が咲かないことがあるそうです。また、花が散ったら、めしべを摘み取り、葉茎はそのままにしておき、葉が枯れてから球根を掘りあげるのがよいようです。
2011年4月28日 インフラについて
このたびの震災で停電は3日間続きました。仕事はできませんでしたが、早く寝れば済むことだし、我が家の暖房は薪ストーブなので、普段とさほど変わらない時間を過ごせました。暖房のあるなしで、住まいの安心感は格段に違ってきます。水道は7日間止まりました。普段は気にすることもありませんでしたが、飲用に供する水など微々たる物で、トイレの処理に大量の水を使用しなくてはならないことを給水所から一輪車で水を運んで初めて実感しました。世の中が、ちょっとした便利さのために壮大な労力を使っているような気がしてなりません。ガソリンの不足は3月いっぱい続きました。あちこちで、給油待ちの車の列が延々と続く光景を目にしましたが、8時間待って10Lしか買えないこともあったそうです。みなさん様々な事情は抱えていると思いますが、8時間あれば自転車で100km位移動できそうです。日頃の習慣・常識を見つめなおす必要性を感じました。
2011年4月28日 家族について
小説や映画では聞いたことがありますが、理不尽にも家族が離れ離れにならなければならないというやるせなさというか、それに近い感覚を今回の原子力発電所の事故で経験しました。津波で被災された方々の悲しみとは比較になりませんが、我々の家族も、314日、福島原発2回目の爆発を受けて、妻と子供を山形の実家に避難させることにしました。「想定外の事態」であり「直ちに健康に影響を及ぼすレベルではない」と繰り返し報道されていましたが、その時の、この先どうなるのかという不安は、とても言い表すことができません。子供たちは・・・住まいは・・・仕事は・・・考えればきりがありません。政府は想定される最悪の事態というものを提示したうえで、そうならないための対策を丁寧に説明し、不安を解消させるべきです。国民をもう少し信用していただいて、情報の小出しは今後ご勘弁願いたい。各個人が危険の先読みをしなくてはならない状況は、とても不幸なことです。
2011年4月28日 原子力発電について
日本国民、世界中の人々が、現在おかれている福島の状況を直視し、今後のエネルギー問題を真剣に考えてほしい。私を含めて、現在享受している豊かさの背後にある危険性を、今まで見て見ぬふりをしてきました。今後、営業運転中の完全な安全性を確立できたとしても、現代社会の目先の豊かさのツケ(放射性廃棄物の危険性)を、何世代も先の子孫にまで払わせることになる営みには、どう考えても賛同できません。本当の幸福、豊かさとは何かということ、子供たちにより豊かな社会を繋いでいくという我々に課せられた使命を、この機会にぜひ、ひとりひとり見つめ直していただきたい。文明は不可逆的であるとか、そのうち科学技術が何とかしてくれるだろうといった思考停止は、もはや許されない状況です。この際(今ならできると思います)、日本中の原発を全て停止し、その不便さ、幸福度の削られ具合を社会実験してみてはどうでしょう。そうでもしない限り、新たな価値観、技術が生まれてこない気がします。